大阪府立公衆衛生研究所メールマガジン かわら版@iph

 −第119号− 2013年7月31日発行


レトロウイルス感染症に対する根治療法は可能か?


 根治療法とは完全に原因を除去することにより病気を治癒させる方法です。感染症においては、病原体を感染者から取り除く事が根治療法であると位置づけられます。インフルエンザなどの急性ウイルス感染症においては、症状が軽快するとほどなくウイルスは体内から検出されなくなります。これは私達に備わっている免疫のおかげです。しかし免疫力だけでは取り除けないウイルスもいます。これらは現在の医療技術で体内から完全に除去することができません。代表的なものとしてレトロウイルスがあります。

 レトロウイルスには成人T細胞白血病ウイルス1型(Human T-cell leukemia virus type 1, HTLV-1)やエイズウイルス(Human immunodeficiency virus, HIV)が含まれます。レトロウイルスの特徴のひとつは、ゲノム組み込み現象です。細胞にウイルスが感染すると、ウイルスのゲノムが宿主染色体の中に組み込まれます。これはプロウイルスと呼ばれ、細胞の染色体と同化してしまいます。現在の医療技術では細胞からプロウイルスを取り除く事はできません。

 HTLV-1がヒトに感染するとT細胞性の白血病 (図1) や難治性の神経疾患であるHTLV-1関連脊髄症 (HTLV1-Associated Myelopathy, HAM)を引き起こします。HIVが感染するとエイズ(後天性免疫不全症候群)になります。HTLV-1やHIVに対する効果的なワクチンは実用化されていません。HIV感染症に対する治療薬は実用化されていますが、HTLV-1感染症では実用化されていません。治療薬を服用しても、すべてのHIVを体内から取り除く事はできません。また、HIV感染者は一生ウイルスを抑制する薬を飲み続けなければならず、副作用や薬剤耐性ウイルスに悩まされています。


 
図1. HTLV-1によって引き起こされる成人T細胞白血病の腫瘍細胞


 私たちは厚生労働省の支援を受けて研究班を組織して、HTLV-1を体内から取り除く技術の開発を行っています。どのような方法でこれを達成しようとしているのかを簡単に紹介します。私たちの戦略は、プロウイルスを特異的に認識する分子を作出して、プロウイルスを不活化したり、プロウイルスを持つ細胞を死滅させようというものです。この目的を達成するために私たちは人工酵素として知られるZinc Finger Nuclease (ZFN)を応用しました。

 分子生物学の進歩により、人類は特定のDNA配列を認識して分解する人工酵素を作り出す事に成功しました。その一つにZFNがあります。HTLV-1のプロウイルスは両端に同一の配列があります。この中でヒトゲノムと相同性のない部分を標的としてプロウイルスを損傷するZFNを設計しました。この分子をHTLV-1感染細胞に導入すると何がおこるでしょうか?

 HTLV-1プロウイルスの標的配列が損傷をうけると、多くのウイルス感染細胞はアポトーシスと呼ばれるプロセスで自滅します。つまり、感染細胞を体内から消し去ることが可能です。この活性はHTLV-1が感染していない細胞では認められません。しかし、全てのウイルス感染細胞が死滅するわけではありません。細胞にはDNA損傷を修復する機構が備わっています。これが機能すると細胞は死滅を免れます。しかし、修復機構が働くと、プロウイルスのDNA配列は改変されてしまいウイルス遺伝子の機能が失われてしまいます。このような細胞からHTLV-1関連疾患が発症するリスクは低くなります。我々が開発した治療分子はプロウイルスを除去する活性もあります。プロウイルスがなくなった細胞からはウイルス粒子が産生されません。つまり、私達が開発した技術はHTLV-1を体内から潜伏細胞ごと取り除いたり、プロウイルス機能を損傷したり、細胞からプロウイルスを取り除いたりする技術というわけです。この技術を磨き上げることで、HTLV-1感染症の根治が達成できるかもしれません。

 この技術はまだ開発途上です。治療分子の活性をより高めるためにはどうすればいいのか?この治療分子はウイルス非感染細胞に何も悪さをしないのか?どのようにして治療分子を体内のウイルス感染細胞に確実に送達するのか?このような課題を一つずつ解決しながら、今まで不可能だったレトロウイルス感染症に対する根治療法をぜひ可能にしたいと考えています。

(ウイルス課 駒野 淳)


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