大阪府立公衆衛生研究所メールマガジン かわら版@iph

 −第160号− 2016年12月31日発行


大阪城の濠に見られる重金属汚染の歴史

 今年は大河ドラマの舞台ともなった大阪城ですが、我々は違う視点から大阪城に着目しました。城にはお濠があります。当時は外敵の侵入を防ぐ意味がありましたが、現在では外敵を防ぐ必要もないため、自然に任せながら管理されています。すなわち、過去から現在までにお濠に溜まった物質が、そのままの形で保持されているといえます。そこで我々は、大阪城の外濠から底に溜まっている泥(底質)を柱状に採取し、年代測定を行うとともに、鉛、クロム、カドミウムの濃度を測定しました。その結果を図に示します。
 1900年代から1938年にかけて、鉛とカドミウムの濃度は増加する傾向を示します。これは、日本で1890年代に起こった産業革命により引き起こされたと考えられます。新時代の金属素材といわれたクロムの濃度増加は、1920年代以降に見られました。
 第二次世界大戦中の大阪大空襲があった1945年には、クロムとカドミウムの濃度は最も高い値を示しました。鉛濃度も、1938年から1944年にかけては減少していましたが、1945年頃にピークを示しています。この同じ外濠の底質については、多環芳香族炭化水素(PAHs)も分析しており、1944年に最も高い濃度を示しています。PAHsは不完全燃焼によって生成される物質であり、この1944年におけるPAHsの高濃度は、大阪城周辺の木造の住宅や工場が、焼夷弾を使った空襲により火事になったことが原因と考えられます。大阪市阿倍野区にある長池から採取した底質でも同様にこの年代にPAHsが高濃度を示す傾向が見られました。そのため、大阪市域において戦時中の大空襲により大規模な火事が起こったことが、広範囲にわたるPAHsの高濃度に反映されていると考えられます。
 しかし、長池底質の重金属濃度には空襲による増加は見られていません。大阪城周辺には1870年代から砲兵工廠が存在しており、第二次世界大戦期には日本で最も高度な金属工業技術を有していました。空襲では、当初は焼夷弾を用いて広範囲の家屋が攻撃されていましたが、その後砲兵工廠(こうしょう)などの重要な産業基盤が大型爆弾を用いた攻撃の目標にされました。そのため、外濠底質の1945年の層における高濃度の重金属は、大阪城周辺に点在していた砲兵工廠が破壊されたことにより放出されたと推測されます。
 鉛濃度は、高度経済成長期の1951年から1959年にかけて増加します。公害対策基本法の施行やオイルショックが発生した後の1976年には、クロム、カドミウムの濃度は減少しましたが、鉛濃度は増加する傾向を示しました。しかし、長池底質では鉛濃度は減少する傾向を示していましたので、大阪城周辺だけで鉛が放出された可能性が考えられます。
 このように、大阪城のお濠から環境汚染の歴史を紐解くことができました。これからも過去の環境汚染の原因を調査することで、環境汚染を未然に抑制できる知見を集めたいと考えています。

参考文献
 大阪城外濠の重金属分析結果:Water, Air, and Soil Pollution, 204, 215-225. (2009)
 大阪城外濠のPAHs分析結果:Atmospheric Environment, 39(6), 1019-1025. (2005)
 長池の重金属分析結果:Water, Air, and Soil Pollution, 179, 197-206. (2007)
 長池のPAHs分析結果:Environmental Geology, 52, 123-129. (2007)




図 大阪城外濠の底質中の重金属濃度

(大阪市立環境科学研究所 調査研究課 都市環境グループ 加田平)

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