これからSARSはどこへ行くのか? 

年11月に中国広東省に端を発した原因不明の非定型肺炎は、香港から世界各地に拡がり、WHOによって重症急性呼吸器症候群(Severe acute respiratory syndrome: SARS)と名付けられました。SARSにより、900人以上の死者を含めて8,000人以上の患者が出ましたが、7月5日にWHOは封じ込め宣言を行いました。日本では、これまでのところSARSの確定患者の発生はみられていませんが、SARSに感染した台湾人医師が関西地方を旅行したことから、かなりの騒ぎになり、行政担当者を含めて人々に強い危機感を与えました。  
   
SARSコロナウイルス 倍率:20万倍
試料提供:ROBERT KOCH INSTITUT
電顕撮影:公衛研感染症部ウイルス課

1.SARSがわれわれに教えたこと

 SARSは、今年の3月はじめ頃から香港のMホテルに宿泊した患者を中心に、香港、ハノイ、シンガポール、トロントで多発しはじめ、WHOは3月15日にSARSの症例定義を発表するとともに、この疾病が世界的な健康上の脅威であることを宣言しました。その後アメリカのCDC をはじめとし、カナダ、ドイツでSARS患者からコロナウイルスが分離され、WHOは4月16日にこのコロナウイルスがSARSの原因ウイルスであると特定したことを発表しました。SARSという疾患が世に出てから、病原ウイルスを確定するまでに要した時間がたった一月程度という短さには、驚嘆せざるをえません。この成果は、世界レベルの研究機関が共同研究ネットワークを組んだことによります。世界的な拡がりをみせる感染症の制圧のために、知識や情報を共有するという意識が広く根付きました。また、ウイルスが分離されてから、約3週間でウイルスの全塩基配列が発表されました。これは、分子生物学や遺伝子工学の進歩の寄与が大きく、また、ウイルス特有のプロテアーゼ作用点が三次元化され、抗ウイルス剤の候補が検索しやすくなりました。

2.SARSのわからないところ

 SARSに関しては、公衆衛生上必要な情報に不明な点がたくさんあります。例えば、患者はどのくらいの期間感染源となり続けるのか?正確なウイルスの感染ルートは?無症状のウイルス感染者はどのくらいいるのか?本当に無症状のヒトは感染源にならないのか?SARS患者はどれくらい免疫が続くのか?等々いろいろあります。

 その中でいくつかの疑問には、ある程度の答がでています。患者の大多数が医療関係者や患者家族であることから、接触感染か半径2〜3mの飛沫感染が最も考えうる感染経路であり、そのことから、患者に接触するときにはマスクや手袋が感染防御に有効であり、普段の生活の中では手洗いやうがいの励行が重要な防衛手段であることが明らかになりました。また、感染伝播を抑制する手段をなにもとらないときに、1人の患者が平均して何人の人に感染させるかが疫学的に計算されており、インフルエンザがおよそ10人であるのに対しSARSは2〜4人でした。このことは、SARSを制御するために患者を隔離するという物理的な手段が有効に働くことを示しています。

 現在のところ、ウイルスの検出感度はよくありません。そのため、症候群サーベイランスによって患者の発見、隔離が行われているわけですが、無症状あるいは軽症のヒトからウイルスの感染がおこるかどうかは、もっとも重要な問題です。これまでの経験則で、SARSの症状のないヒトからの感染は非常に少なかったこと、また、患者の隔離を徹底することでSARSを封じ込めた事実から、症状のないヒトからの感染はほとんどおこらないものと思われます。

3.SARSは今後どのような展開を見せるのか?

1) SARSは、根絶され地球上に二度と現れない。
2) SARSは、中国では年に数例程度散発するが、世界中に拡がらない。日本での発生はみられない。
3) SARSは、世界各地で数例程度散発し、日本でも輸入例が数例みられるが、日本には定着しない。
4) SARSは、世界各地で多発し、日本も常在国となり、年に数人の死者がでる。
5) SARSは、世界で大流行を起こし多数の人が亡くなった後、人間社会に共存し、インフルエンザのような一般的な病気になる。

 1) と考える研究者はだれもいないでしょう。不顕性感染が否定されておらず、また、野生動物からヒトに種を飛び越えてきたと考えると、また出現してきてもおかしくありません。
 4) 5) は研究者が最も想像したくないシナリオです。ただし、これまで8,000人以上の患者発生があったにもかかわらず一次的にせよ封じ込めに成功したこと、さらに原因ウイルスが明らかにされていること、そのことがウイルス検査による早期診断を可能にし、ワクチンや抗ウイルス剤の開発を促進するものと思われることから、SARSが全世界に汎流行することは避けることができると思われます。

  最も可能性がありそうなのが2) か3) ですが、野生動物を食する文化をもつ中国での発生は避けられないでしょう。潜伏期が比較的長い(2〜10日)ために、無症状期にジェット機で世界中を飛び回るビジネスマンを管理するのは不可能です。そうすると日本を含めて世界中で散発例をみることになります。

 さてそのとき、日本をはじめとして各国は先におこったパニックを教訓として、うまくSARSをコントロールできるでしょうか。人々に強烈な印象を残し続けている間はおそらく大丈夫と思われますが、数年以上影を潜めた後に突然発生したときに、適切な対応がとられるでしょうか?われわれは、そういうときにこそSARSの健康被害を最小限にくい止めることができるように、常日頃の地道な努力をし続けていかなければならないでしょう。

感染症部ウイルス課 加瀬 哲男

* SARSの定義

 SARSは、現在、感染症法による指定感染症で、次年度からは1類感染症になる予定。その定義は、SARS患者(SARSの症状があり、SARSコロナウイルス感染が確定したもの)、SARS疑似症患者(臨床的にはSARSであるが、ウイルス感染は不明のもの)と、法的には根拠を持たないSARS疑い例(発熱、上気道炎、およびSARS患者との接触等の履歴がある)、および条件のそろわない不安例
等にわけられる。