介護労働者の腰痛問題

日本では、育児、家事、介護は、主に女性が担う無償労働として行われてきました。しかし、高齢社会の到来によって介護を必要とする者が増えたにもかかわらず、女性の社会進出によって家庭で介護を担う者が減り、これまでの家庭介護機能を期待することが難しくなってきました。そこで、介護を社会全体で行う、介護保険法が、2000年4月から施行されました。それ以降、介護労働者が急増しています。

1.介護労働に関連した健康リスク

介護は、『女性でも出来る、賃金を払うに値しない労働』という偏見があるように思われます。しかし、介護は重労働です。介護を必要とする人を抱えたり、持ち上げたり、支えたりしなければなりません。相手は人なので、事故や怪我をさせてはいけないため、精神的ストレスもかかります。また、人を相手にするので、やりがいがある反面、ここまでやれば終わりとか、このやり方でやればよいといったマニュアルもありません。その上、介護施設のような福祉関係の職場では、一般に使命感や奉仕の精神が優先して、安全衛生や健康管理体制が十分でない所が多い、といった問題もあります

このような様々な問題のある介護の現場で、『利用者本位の介護』だけを求めたり、人の手だけですべての介護を行おうとしたら、介護者は、腰痛などの筋骨格系の障害、あるいは燃え尽き症候群など、様々な健康障害を引き起こす恐れがあります。また、介護施設では、24時間の介護体制が求められているので、夜勤や不規則勤務による睡眠障害、そして、排泄物を扱うことなどによる感染症の問題なども起こってきます。

2.介護労働における腰痛の原因

腰痛にも様々な種類がありますが、介護現場でみられる腰痛は主に、筋肉の過度な持続的緊張によって起こる筋・筋膜性腰痛と、椎間板への無理な荷重によって起こる腰椎椎間板ヘルニアです。いずれも、前屈みなどの不自然な作業姿勢や重量物の持ち上げなどが原因になります。例えば、排泄や入浴の介護場面では、要介護者のベッドから車椅子への移乗、車椅子から便座への移乗などがあり、抱く、抱える、運ぶなどの動作が求められ、その結果、介護者の腰部に負担がかかります。また、低床型ベッドでのオムツ交換、入浴介助での洗体作業、車椅子での食事介助のように、作業面が低い場面では、前屈みや中腰姿勢になることが多く、やはり腰部に負担がかかります。

3. 日本の腰痛対策事情

厚生労働省から『職場における腰痛予防対策指針』が通達として出されています。この中で腰部に著しい負担のかかる作業の軽減のために、作業を自動化又は機械化すること、適切な補助機器等を導入することを推奨しています。また、重量物を取り扱う作業を行わせる場合の取扱い重量について、成人男性は体重の40%以下、女性は男性の60%位とするよう明記されています。人の手による抱きかかえなどは明らかに重量オーバーですが、この指針は法的拘束力や罰則がなく、また、介護現場でも周知されていないのが実情です。そして、移乗介助は各介助を行う際のつなぎ目といった位置づけで、その危険性があまり認識されていません。このため、日本では、移乗用の介護機器の導入が進んでおらず、人の手による持ち上げや抱きかかえが行われ、介護者の多くが腰痛を訴えています。

4. 欧米での腰痛対策事情

欧米では、移乗介助が最もリスクの高い作業と認識されていて、移乗用のリフトなどの介護機器の導入も盛んです。また、介護職の腰痛は業務によって引き起こされた労働災害として補償され、介護機器の有効性を検証する調査や研究も活発に行われています。介護機器の購入費用と介護機器の効果を検証した研究では、介護機器の導入によって、腰痛の罹患や休業、早期退職、退職に伴う交代要員補充、などを低減させることが出来るため、投じた費用をはるかに上回る効果があるとされています。

5.介護労働者の腰痛をなくしていくためには

日本の介護現場では、『介護は人の手で行うものである』という理念が浸透しています。確かに、人の手やスキンシップは、人にしかない暖かみと優しさに包まれています。しかし、先に述べたように、人の手での移乗介助は介護者の腰部への負担が大きく、腰痛などのリスクに曝されることになるのも事実です。また、介護を必要とする人も、自分の介護のために、相手が腰を痛めたり、体を壊すことは、決して願っていません。したがって、『介護は人の手で行うものである』という理念は本当に重要なのか、また、人の手以外で行うべき作業がないのか、もしあれば、どのような介護機器を使用することが出来るのか、などの疑問に答えられる科学的根拠を明確にして、介護作業のあり方を見直していく必要があります。

本の介護現場で、介護機器が導入されない理由のひとつに『介護機器を使用すると作業効率が下がる。人の手でやった方が早い。』という声が聞かれます。確かに、リフトなどによる移乗介助は時間がかかります。その意味では、介護機器の導入により作業効率が必ずしも高まるわけではありません。しかし、作業効率を高めるために、介護者が腰痛になってよいはずはありません。介護機器を導入して作業効率が下がるのであれば、介護者の数を増やすことが必要になります。そのために、国が定める特別養護老人ホームの人員配置基準(利用者3人に対して職員1人以上)の見直しが必要かもしれません。例えば、北欧では施設の利用者とほぼ同数の職員数が配置されています。社会の仕組みが異なるため、一概に比較はできませんが、日本の基準は低すぎるように思います。

6.むすびにかえて

参考

一生懸命介護したくても、痛みがあると、人は、イライラする、余裕がなくなる、笑顔が出ない、自分のことで精一杯になってしまう、これらは、ごく自然なことです。無理をして介護で心や体を壊してしまうことは、誰にとっても幸せなことではありません。介護機器は、介護現場で起こる腰痛問題の大きな解決策になるので、是非、積極的に活用してみて下さい。

生活衛生課では、平成13年度より、大阪府内の介護労働者の健康問題に関する調査・研究に取り組んでいます。また、平成17年度は、大阪府試験研究機関提案型調査研究事業(産業再生研究プロジェクト)の一環として、介護機器の有効性の検証に関する研究を進行中です。

生活環境部生活衛生課 冨岡 公子、熊谷 信二

ロゴマーク 公衛研ニュース第28号(1) 介護者の腰痛問題