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西暦2000年をむかえて

所長 江部 高廣

たなミレニアム(千年紀)がやってまいりましたが、この7月には当研究所も40周年の節目をむかえることになりました。現在、過去10年間の記録をまとめていますが、日本の社会全体が大きく変化し、関係する分野でも、O-157、新型インフルエンザ、結核の再興、ダイオキシン、内分泌かく乱物質、各種の毒物事件等様々な問題が発生しています。国の方でもこれらに対応して、感染症新法やダイオキシン類対策特別措置法の制定、また危機管理体制の整備等が進められてきました。
 一方、地方衛生研究所については、地域保健法の基本指針(平成6年)において「地域における科学的かつ技術的に中核となる機関」とされました。これを受けた地方衛生研究所設置要綱(平成9年)では、主要業務である調査研究、試験検査、研修指導、公衆衛生情報の収集・解析・提供の4つに加え、新たに、他の試験研究機関との連携強化、保健所・本庁・研究所で構成する検討協議会での調査研究の調整、および標準品や標準菌株の保存・提供等を行うレファレンスセンターとしての機能の3点が示されました。
 当所でも、上記のような新たな状況に対応し機能を強化するために、食品衛生法によるGLP導入への対応、感染症新法に対応した新規プロジェクトの発足、健康被害防止のための危機管理体制や機器の整備、情報機能強化としてのインターネットや所内LANの導入等を進めてきたところであり、このニュースの発行もその一つに当たります。

 今後大事なことは、先ず、府民の方々の役にたつ業務をさらに目指したいということ、そして地味な業務ではありますが、それを知っていただく努力をすることも重要であると考えています。また、健康被害の防止のためには、現実の問題への取り組みである事件解決型の業務に加え、将来を予見しかつ予防を目指した調査研究の遂行が必須であり、よりいっそう研究環境の整備・充実に努める所存です。
 この間の状況を見ていますと、地方衛生研究所の役割はますます重要なものになると考えており、今後とも、当所の目的である府民の健康と安全を守るために、所員一同全力をあげて取り組んでいきたいと思っております。

 

 薬剤耐性結核菌の迅速診断法 - DNAチップの開発 -

核菌が再興感染症における重要な病原体となっている理由の一つとして、薬剤耐性菌の存在があります。化学療法開始前に薬剤耐性に関する情報があれば、耐性薬剤を除いた他の複数の薬剤を選択することで、治療の失敗や新たな耐性菌の出現を考えなくてすみます。そのため、薬剤耐性の迅速な判別は、結核治療の上で最も重要な課題の一つとなっています。

1.結核菌の薬剤耐性獲得機構

 感受性菌の中には、すでに自然に起こる変異によって耐性を獲得したものが一定の頻度で存在しています。薬剤投与により感受性菌は死滅しますが、耐性菌は生存し再び増殖します。仮に一億の菌を持っている患者が抗結核剤の一つであるイソニアジド(INH)のみを服用したとすると、約400個の菌がINH耐性菌として生き残ることになり、生き残ったINH耐性菌は再び増殖します。このINH耐性菌にリファンピシン(RFP)を用いれば、同様な機序によってRFPに対する耐性も獲得(2剤に対して耐性)し、この繰り返しにより多剤耐性結核菌ができ上がるわけです。

 理論的には、2剤を同時に併用した場合に菌が生き残る確率は掛算で求められ、その結果は非常に小さな値になるので、耐性菌の出現をほとんど考える必要はありません。しかし、耐性菌により発病している患者に対して薬剤を投与した場合には、感受性のある薬剤に対しても耐性を獲得する可能性があります。

2.結核菌の薬剤耐性獲得に関係する遺伝子とは

 結核菌の薬剤耐性のメカニズムについては、早くから生化学的、遺伝子工学的手法等を用いて研究がすすめられて来ました。その結果、耐性はそれぞれの薬剤が結核菌に作用する点に変異が起こる事により獲得される事が判明しました。以下にその例をあげます。

・INH耐性と菌細胞壁上の脂肪酸合成に関わる遺伝子の変異

・RFP耐性とRNA合成酵素遺伝子上の変異

・ストレプトマイシン(SM)耐性及びカナマイシン(KM)耐性と蛋白質合成に関わる遺伝子上の変異

3.結核菌の薬剤耐性遺伝子の迅速診断法

 これまでに、主な抗結核剤であるINH、RFP、PZA、EB、SM、KMの耐性に関与する遺伝子が同定され、遺伝子変異を検出する様々な方法が開発されましたが、必ずしも満足できる決定的なものはありませんでした。

 最近私たちは、薬剤耐性結核菌を検出するための新しい検査法「DNAチップ」の開発に成功しました。このDNAチップとは、ガラス板上に薬剤耐性に関与する遺伝子と互いに結合できる短い合成DNAを固定したものです(図1)。

図1 DNAチップによる結核菌の薬剤耐性鑑別法と検出例

PCR法により増幅させた薬剤耐性に関与する遺伝子と反応させて、変異遺伝子を検出します。図1には検出例も示しました。チップの左端に感受性型、その横に耐性型(複数)の遺伝子を検出できる合成DNAの断片を固定してあります。感受性菌では左端1列に最も強い反応スポットが検出できますが、耐性菌ではスポットのどれか一つが右側に移動します。検出例の(a)は感受性菌、(b)(c)は耐性菌です。この方法により、従来の培養検査法で6〜8週間を要していた薬剤耐性結核菌の鑑別が、6〜8時間で可能となりました。当所では大変有望な迅速診断法であると考えています。

病理課 鈴木定彦

 

 発がん物質を探す - 発がん物質短期検出試験法の開発 -

んの原因の大部分は食品を含めた生活環境中の化学物質にあるといわれています。どの様なものに発がん性があるのか、また逆に、どの様な物質が発がん作用を抑えるのかという事は多くの人々の関心を集めています。当研究所では組換えDNA技術により新種のネズミチフス菌を作成し、これを試験菌株とした発がん物質の短期試験法を開発しました。ここでは、がんの発生のメカニズムと当所で開発した『発がん物質短期検出試験法(umuテスト)』を紹介します。 

1.がんはどのようにしてできるのか?

 人の体は多数の細胞から出来ています。その細胞の中には核があり、この核の中のDNAには生きて行くのに必要な全ての情報が入っています。この遺伝子の中のがんに関連した遺伝子になんらかの作用で傷がつき、情報に乱れが生じた場合、がんに関連した遺伝子が動き出し、その作用で細胞は徐々にがん細胞へと変化して行きます(図2)。

図2 がんはどのようにしてできるのか(がん研究振興財団「がん解明から克服へ」より)

がんに関連した遺伝子はその機能によって、発がん遺伝子とがん抑制遺伝子の二つに分けられています。発がん遺伝子とがん抑制遺伝子はそれぞれ自動車のアクセルとブレーキに例えることができます。アクセルが故障すると自動車は暴走を始めます。ブレーキが効いている間はなんとか制御されますが、ブレーキが壊れると大変です。この遺伝子は健康な人の中にもありますが、問題は動き出すか出さないかということです。

2.見つかったときはすでに20年

 遺伝子が発がん物質の作用をうけ、その結果、細胞が変化します。この細胞が分裂を繰り返し、増えていく過程で少しづつ悪性度の高い細胞に変わっていきます。さらに何年もかかって悪性のがん細胞になります。臨床的にがんと認められるのは、がんがほぼ1gの大きさになった頃ですが、その中には約10億個の細胞があります。一個のがん細胞が10億個になるのには、約10年近くかかります。細胞ががん化する時間を加えますと、最初の遺伝子変化が起こってからがんと診断されるようになるのには、20年あるいは30年という時間がかかります。これが、いつ、なぜ、がんになったかを分かりにくくしているのです。 

3.人をとりまく発がん物質

 細胞をがん化させる物質を発がん物質といいます。発がん物質は以下の三つに分類できます
 1)自然の中の発がん物質
 2)火によってできる発がん物質
 3)人工の発がん物質

このうち、1)、2)は昔から自然界に存在していたもので、ウイルス、放射線、かびやわらび等に含まれる成分などです。食品の中にも発がん物質は含まれており、また、人の体の中でつくられるものもあります。3)は染料など人工の化学物質です。
 人のがんが環境因子(化学物質)によって起こることを初めて報告したのは、ポットというイギリスの外科医です。1775年、ポットは煙突掃除夫に陰のうがんが多発する事を見つけ学会誌に発表しました。しかし、この発表はポットが町の一開業医であったため、当時は大きな関心を呼びませんでした。その後、近代化学工業の発展にともない多くの化学物質が新しくつくり出され、同時にこれらの化学工場で働く労働者に職業がんが発生しました。1915年、 化学工場の産物であるコールタールにより皮膚がんが起こることを日本の山極、市川両博士が実験的に証明し、以後、がん研究が大きく進歩することとなりました。職業に関連して起こるがんを職業がんと呼びます。職業がんは化学発がん研究の突破口となりましたが、見方を変えれば、がん研究の歴史は近代化学工業発展の歴史であるともいえます。

4.変異原性と発がん性

 現在、私たちの周りには天然、人工を含めて数百万種類の化学物質が存在しており、さらに、年間千種以上の新しい化学物質が作り出されています。これらの化学物質の発がん性は動物を使って調べられます。しかし、すべての化学物質の発がん性を動物実験により調べることは、時間、設備、費用等の関係で不可能です。そこで、まず、簡易試験法で発がん性の可能性を調べ、怪しいものから優先的に動物を使った発がん実験を行っています。現在、エイムス試験を中心として、染色体異常試験、小核試験など、微生物や培養細胞を使った変異原性試験が発がん物質の簡易試験法として行われています。これまでに、多くの物質の変異原性が調べられ、芳香族アミン、多環芳香族、エポキシド、ニトロ化芳香族、アゾ色素、ジアゾ化合物、ニトロソアミン類などに変異原性を示すものの多いことがわかってきました。また、 MNNG、4NQO、Trp-P-1 など多くの化学物質の発がん性が変異原性試験で予知されました。

図3 がん死亡と関連する要因[Dollら(1981)]

5.新しい発がん物質短期検出試験法の開発 

 1985年、当研究所では組換えDNA技術により新種のネズミチフス菌(Salmonella typhimurium TA1535/pSK1002)を作成し、これを試験菌株とした発がん物質の短期検出試験法を開発しました。umuテストと名付けられたこの試験は、突然変異の生成を検出するという従来の変異原試験(エイムス試験等)と異なり、大腸菌の遺伝子(DNA)に傷がついたときに起こる反応(SOS反応)を利用した全く新しい型の変異原検出試験法(DNA損傷検出試験法)です。
 短期検出試験には、簡便・安価であると同時に高感度と正確さが要求されます。umu試験をエイムス試験と比較したところ、umu試験はエイムス試験に比べ短時間で結果が得られ、操作も簡単なことが示されました。また、感度と正確さについては、ほぼ同じレベルの結果が得られました。
 当所では、この試験法を発表して以来、さらに検討・改良を行ってきました。また、実用例として水、大気などの環境試料の変異原性、あるいは食品に含まれる変異原の検出、天然物や血液、尿、便などの生体試料の変異原性、変異原抑制作用の研究などを行いました。特に、生薬を中心とした植物からは変異原性を抑える作用を持つ成分をいくつか発見しています。これらの研究を通して、umu試験は多くの利点を備えた実用的で応用範囲の広い試験法であることが示されました。
 この結果、umu試験は1993年に上水試験法に、1997年には下水試験法に変異原性試験の公定法として採用されました。また、ドイツにおいても排水中の安全性を評価する方法に採用されています。さらに、1998年には国際標準規格であるISOにおける変異原性試験の公定法として、他の変異原性試験法に先駆けて登録申請されました。現在、umu試験の菌株は世界中に広がり、医学、生物学、工学など多くの分野で広く利用されています。

労働衛生部 中村 清一、ウイルス課 小田 美光


発行日:平成12年1月31日
編 集:大石、中村、山吉、桑原、片岡、野上
事務局:薬師寺 、渋谷(内線297)